【凹凸山海系列paro】屏翳の暇つぶし(日文)
山海系列paro的小说
屏翳雷獅和白泽安迷修
它仍然是日文,但我有时间可能会翻译它。
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神仙とは押しなべて理不尽で気まぐれなものである。
その日、屏翳たるライシーは暇を持て余していた。普段であれば弟分の五奇鬼・カミルやパロス、ペリーを伴って、好き勝手嵐を起こすのに余念がない彼は、謹慎を言い渡されている。目に余る行動が過ぎて、ついに姉のライにお灸を据えられてしまったのだ。
これが兄のライジェであれば話は違っただろう。いつも通り話を受け流して、相手の怒りが沸点に達した頃合いを見計らい、隙が大きくなってから抜け出す。しかし姉はライシー同様、屏翳としての力が強く、彼をも凌駕するその力で以って、力づくで天界につなぎ止められてしまったのである。
神とは押しなべて理不尽で気まぐれなものである。
その日、屏翳たるライシーは暇を持て余していた。普段であれば弟分の五奇鬼・カミルやパロス、ペリーを伴って、人間たちを震え上がらせるような嵐を起こすのに余念がない彼は、謹慎を言い渡されている。目に余る行動が過ぎて、ついに姉のライにお灸を据えられてしまったのだ。
これが兄のライジェであれば話は違っただろう。いつも通り話を受け流して、相手の怒りが沸点に達した頃合いを見計らい、隙が大きくなってから抜け出す。しかし姉はライシー同様、屏翳としての力が強く、彼をも凌駕するその力で以って、力づくで天界につなぎ止められてしまったのである。
こうなると下界――人間界に行くのは無理に等しく、寝床にごろりと寝転がって徒らにすぎるばかりの時を待つほかない。カミルや他の仲間との接触も禁じられるとなると、途端に味気なくなる。
どうにか暇つぶしをできないか、と回転の速い頭を駆使して考えること数時間。
――そういえば、あの瑞獣はどうしているだろう。
そんな考えが過ぎった。あの瑞獣こと、白澤・アンミシュウ。あらゆるものの様子に深く通じている、全知の獣。真名を握られると途端に不利になるこの神仙妖魔の界隈で、すべての名を把握できる彼は、人間界に仇成す妖魔を片っ端からその剛腕でねじ伏せている、頭脳派ゴリラ……失礼、文武両道の瑞獣であった。
悪を滅する、そんな気質のアンミシュウであるから、当然、人間界に被害をもたらすばかりのライシーとは何度もやりあっている。しかし、彼は「ライシー」と言う名前も、「ブレンダ」と言う名前も知りながら、ライシーを滅しきれずにいた。それはひとえに、屏翳が白澤より上を行く、神仙に連なる存在であることや、当人が「名前が知れたところでどうした、俺に弱点などあると思うか?」という反応のため、力が拮抗して決着がつかないのだった。
「あいつのところなら、別に行っても構わないな?」
アンミシュウも、普段であれば天界にいるはずだ。本来、徳の高い人間の前にしか姿を見せない性質であるので。加えて、仲間には会えないが、天界であれば行動は制限されていない。
とは言え、これでまた乱闘でもしようものなら、締め付けがきつくなるばかりだろう。では、どうやってあれで遊ぼうか。一つ決まれば、思考はどんどんと広がっていく。
そうだ、あれを辱めるのはどうだろう。不意打ちであればこちらの方が有利なはずだ。しかしそうするにしてもどうしたものか。無理矢理事に及ぶ? 否、あれはその類は歯を食いしばって耐えるばかりで、嘲罵するつもりでも決して折れない性質だ。で、あるならば――……。
ライシーはにやりと笑う。そうと決まれば思い立ったが吉日。早速準備にとりかかった。この時ばかりは、その回転の速さがトンチキな方向に発揮されてしまった瞬間だった。
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